「最高のプレゼント」 ヨハネの福音書 3:16 .
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
1.プレゼントあれこれ
a.プレゼントタイプ考
・give & take型
クリスマスおめでとうございます。今日は聖書の中でも、もっとも多くの人に愛されると言われるヨハネの福音書3:16から、神さまからわたしたちへの最高のプレゼントについてご一緒に考えてみましょう。
プレゼントにもいろいろなタイプがあると思います。三つのタイプを考えてみました。第一は「give & take型」。クリスマスシーズンですから、世の多くの男性は女性に贈りものをしていることと思います。その中には、相手の気をひきたいがためのプレゼントがあるかもしれません。贈りものをすることによって、相手からの何かの見返りを期待する、これがgive & take型です。何かの条件を付けてプレゼント(というかご褒美ですね)を約束するのも、このタイプに入るでしょうか。
・献上型
第二は「献上型」昔なら王様や殿様、とにかくエライ人に謁見するときには、決まって献上品を差し出したものです。物のやり取りが双方の立場を表しています。身近なところでは、お歳暮なんかもあてはまるかもしれません。純粋な感謝や敬意の場合ももちろんあることでしょうが、義理人情や他の人との比較など、色々を気を遣わないといけないのがこのタイプです。
・とにかくプレゼント型
「give & take型」も「献上型」も、贈る側・受ける側双方ともに気疲れする、という傾向があります。それに対して、第三に「とにかくプレゼント型」をあげてみたいと思います。これはたとえば、美味しい季節の食べ物があったとき、「あの人に食べさせたい」と思って贈るような場合です。
ただ、相手のことを想い贈るプレゼント、これが本当のプレゼントです。ちょうど子どもがクリスマスに期待するプレゼントはこれです。そして、今日のテーマ「最高のプレゼント」とは、神さまからの「とにかくプレゼント型」の贈りものなのです。
b.与えられる素晴らしさ
ところで、わたしたちは欲しい物を自らの力で獲得することもできます。小学生の頃、お年玉をもらってすぐにおもちゃを買いたくなったことがありました。その当時は正月三が日はどのお店も休み。だだをこねて父に付き合ってもらい、やっと裏通りで営業している小さなひなびたおもちゃ屋を見つけ、欲しいわけでもなかったおもちゃを買ったのでした。数日は遊びましたがすぐに飽き、また飽きた頃に壊れてしまいました。そして非常に後悔したのをおぼえています。たった数日前にクリスマスプレゼントをもらったのに、どうしてこんなつまらないものを買ったのだろうかと。不思議とこの後悔の念は、いつまでたっても鮮明に記憶に残っています。
聖書はわたしたちが実は、多くのものを与えられて生きていると教えています。神に生かされていると語ります。わたしたちは自分で獲得することに目を奪われ過ぎて、与えられているものに気付かないことがあるのではないでしょうか。
2.神からのプレゼント
a.愛のプレゼント
プレゼントの記憶とは何でしょうか。それは、物ではなく、贈ってくれた人の気持ちです。もらったものは忘れても、もらったときのワクワク感は忘れることができません。それは贈り主の気持ちからくるものではないでしょうか。わたしたちは愛を注がれて生きていますし、またそれを必要としています。プレゼントがいつの時代も大切にされるのは、そのことの象徴と言ってもいいのかもしれません。
b.もっとも大切なものを
プレゼントはものから入るのではなく、気持ちから入るものです。ですが、その気持ちが最高となるとき、与えるものはもっとも大切なものになります。わたしは子どもを持つ前は親が子どものためなら犠牲をいとわないという気持ちが今ひとつ理解できませんでしたが、今はそれがわかるような気がします。もっとも愛する者のためには、もっとも大切なものも惜しまずに与えることができます。
ただし、それはわが子に関してだけであって、すべての人をそのように愛することはできません。まして良好な関係がなければなおさらです。しかし、神のプレゼントはそうではありません。神はそのひとり子を与えるほどに世を愛された、とあります。「世」とはこの世界のことですが、聖書では「世」といった場合、神に敵対する罪深い世を指すことがあります。そのような世に、そしてそのようなわたしに、神は一番大切な神のひとり子を与えられました。
クリスマスとはイエス・キリストの誕生を祝うものですが、その意味は、神の最高の愛のプレゼントがわたしたちに与えられたことなのです。
c.いのちに至るプレゼント
神によって与えられたそのひとり子は、この世で大切に扱われるどころか、敵意を憎しみの中で十字架で殺されました。神は御子を十字架の死に渡すために、この世にお与えになりました。
それは御子の死が信じる者の罪を赦し、永遠のいのちを与えるものだからです。神はもっとも大切な御子を死に渡すためにわたしたちに与えられ、その死によって、わたしたちは信仰を通していのちを得ることができました。このすばらしい救いのこの世でのスタート地点がクリスマスなのです。神さまからの最高のプレゼントである神の御子イエス・キリストを感謝して受け入れましょう。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ 3:16
posted at 2006/12/28

