生ける神に立ち返る(4/22礼拝メッセージ)

「生ける神に立ち返る」 使徒の働き 14:1-18 .

14:1 イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。
14:2 しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。
14:3 それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、御恵みのことばの証明をされた。
14:4 ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。
14:5 異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、
14:6 ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、
14:7 そこで福音の宣教を続けた。
14:8 ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。
14:9 この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、
14:10 大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。
14:11 パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。
14:12 そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。
14:13 すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。
14:14 これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、
14:15 言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。
14:16 過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
14:17 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」
14:18 こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。

1.町の分裂と迫害
 a.信じようとしない人々

 バルナバとパウロ一行は、ピリデヤのアンテオケからイコニオムに進み、ユダヤ人の会堂で福音を語りました。そこでは、多くの者が信仰に入りました。しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、町の人々をそそのかし、おそらく使徒たちについて悪い噂を流すなどして、人々を福音から遠ざけようとしました。真理への応答は時に受容であり、時に反発、さらには攻撃も起こってきます。

 b.町の分裂
 使徒たちはそれでも、力強くあかしをし続けました。それによってさらに多くの人々が信じたわけですが、町は使徒に賛同する者と、ユダヤ人に賛同する者とに二分してしまいました。

 福音のメッセージは人にその応答を求めます。町が二分してしまったことは大変残念なことです。でも、福音は人に二者択一を求めるという側面があることを、この出来事は如実に表しています。

2.ゼウスとヘルメスの来訪?
 a.いやしの奇跡

 この町の反対者たちの敵意は、ついに殺意(石打とは死刑の方法です)にまで発展します。バルナバとパウロの一行は、ルステラとデルベの地方に逃れました。そのルステラで、パウロの説教を聞いていた人が、足をいやされました。パウロとしてはこの奇跡で、福音の真理が人々に受け入れられるものと期待したでしょう。ところが、事態はあらぬ方向へと展開してしまいます。

 b.生き神へのいけにえ
 人々は「神々が人の姿をとっておいでになったのだ」と叫び、バルナバをギリシャの主神ゼウスと呼び、パウロを言葉の神ヘルメスと呼んで、生け贄を献げようと準備を始めました。ルカオニヤ語で人々が語っていたために、パウロたちは事の成り行きが初めは飲み込めなかったようですが、ゼウス神殿の祭司が登場し生け贄の準備が始まるとようやく事態が飲み込めました。二人はあわてて人々の中に割って入り、生け贄を止めようと語りかけます。

3.生けるまことの神への信仰
 a.古い時代の神の寛容

 パウロは、神でないものを神とする空しい生き方から、まことの生ける神へ立ち返ることこそ、自分たちのメッセージであると語ります。ここにも、空しいものを捨て、実質のあるまことの神へ立ち返れ、という二者択一が見られます。

 でも、それは単に一方を否定してこちらを肯定するということではありませんでした。立ち返るべき生けるまことの神は、そのような無知の時代を忍耐して許して来られました。まことの神は寛容の神であり、人々が帰ってくるのを待っておられたのです。

 b.恵みの神の自己啓示
 また、生けるまことの神は、恵みの神です。すべての人に雨を降らせ、豊かな実りで喜びを与えてくだっています。それによって、まことの神が恵み深い方であることを示しておられます。

 面白いのは、食物と喜びとで心を満たしてくれる、という表現です。日常生活のごく当たり前の出来事すべてが、実は神の恵みであり、それによってわたしたちは満たされているのです。

 c.福音による決断を迫る神
 このように福音がわたしたちに決断を迫る二者択一は、神の寛容と恵みを前提としたものです。空しいものを捨ててまことの生ける神に立ち返れと福音が告げます。

 寛容と恵みの神、その神がわたしたちに救い主を送り、その救い主の命の犠牲によって、わたしたちが神に立ち返る道を備えてくださいました。今もあなたへの寛容を示し、あなたの心を恵みをもって満たしてくださる神、その生ける神に立ち返りましょう。


「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい」 使徒3:19

posted at 2006/4/24



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