恐れを超えて(7/1礼拝メッセージ)

「恐れを超えて」 使徒の働き 18:1-11 .

18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
18:5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
18:6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
18:7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。
18:8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
18:11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

1.パウロの恐れ
 a.宣教→迫害→移動の繰り返し

 パウロという人物のイメージは、何があってもへこたれない情熱の人、という風にとらえる人が多いと思います。確かにその通りですが、パウロも人の子、時には恐れにとらわれることもありました。

 彼の宣教旅行のパターンは、会堂での伝道、ユダヤ人からの激しい迫害(暴力をともなったものも)、他の町への移動、の繰り返しでした。問題が起こりそして解決されればいいですが、同じ問題がが繰り返し繰り返し起こると、人間の心は次第に疲弊してきます。

 b.ヨーロッパ伝道への期待から落胆へ
 パウロたちがコリントへわたることになったのは、聖霊による導きを確信してのことでした。当初考えていたアジアでの伝道を聖霊によって禁じられ、どうしてかなと思っているところ、マケドニア人の幻をパウロが見て、ヨーロッパ行きを確信したのです。

 それだけに、彼らは大きな期待をもち、大変張り切って海を渡ったことと思います。しかし、テサロニケ、ベレヤでは過去と同じパターンが起こります。

 そしてコリントへ来たパウロは、アクラとプリスキラ夫妻の盟友を得、またマケドニア(おそらくはピリピ教会)からの献金を受けて、今度こそ、と期待も高まったのではないでしょうか。

 ところが、コリントのユダヤ人たちからは、以前と変わらないパターンの反抗を起きます。「またか...」という落胆が彼の心に起こったことでしょう。

 c.外的危機から内的危機へ
 わたしたちは危機に直面してもそれなりに対処をしてゆけるものです。というよりもそれが人生の営みといってもいいのかもしれません。ですが、外的危機が連続したり、がくんと意気消沈したりすると、外的危機に対処しきりれなくなり、それが内的な危機となって対処が難しくなります。それが恐れではないでしょうか。

2.恐れを超えて
 a.神の声を聞く

 パウロは宣教の旅を続け精力的に働き続けてきましたが、ここコリントに至りついに内的危機を抱え恐れにとらわれてしまったのではないでしょうか(コリント第一 2:3、コリント第二 7:5参照)。でも、そんなときにこそ、神さまの語りかけが耳に、いえ、心に届くものです。

 旧約聖書にエリヤという預言者がいます。彼はまこの神に逆らう国王アハブと王妃イゼベルと対決します。カルメル山の上で、邪神バアルの預言者700人と対峙します。祭壇を築きそこに火を着けるのが本物の神であると。バアルの預言者のむなしい祈りの後、」エリヤが祈ると、天からの火が祭壇を燃やし尽くしました。エリヤはこれでホッと緊張が解け、これでイスラエルの国はまことの神に立ち返る、すべてがうまくいくに違いない、そう思ったことでしょう。ところが、エリヤの耳に届いたのは、王妃イゼベルがエリヤ殺害命令を発したという知らせでした。

 勝利から一転して生命の危機にさらされたエリヤは、すっかり恐れて逃亡してしまいます。そして自分の命を取り去ってくれと神に願うのでした。しかし、エリヤはこのとき主の声を聞きます。それは細い声の中にでした(列王記第一19章)。

 外的危機に対処しきれなくなり恐れをいだくとき、その時人は自分の無力さを知りますが、同時にそれによって本当に神の声に耳を傾ける機会を得るのです。誰も恐れることを望んではいませんが、わたしたちは必ず恐れにとらわれます。でも、その時にこそ、まことの神の声を聞くチャンスであるのかもしれません。かすかな細い声に耳を澄ませてみましょう。

 b.主がともにいる、使命に再献身する
 恐れをいだく者に語りかける神の声はどのようなものでしょうか。それは、主が共にいるという慰めと、主の使命に再献身するようにとの励ましです。これはパウロ一人だけではなく、聖書全体において神の人が受ける神からの慰めのことばです。

 アブラハム(創世記15:1)、ヤコブ(創世記26:24)、モーセ(出エジプト記3:12)、ヨシュア(申命記31:23、ヨシュア記1:6-9)、イザヤ(イザヤ書41:10)、エレミヤ(エレミヤ書1:8)、等々、旧約の神の人は皆、神がともにいてくださるという約束を与えられ、使命に向かって送り出されました。恐れから立ち上がるには、慰めとともに確かな生きる道が必要です。主イエスの励ましもまた同じです。

 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイの福音書28:19-20)。

 わたしたちが恐れているときに、神さまはどのように語りかけてくださるでしょうか。それは、主がともにいるという慰めと、再び主の使命に生きる確かな道筋です。神さまの臨在によって慰めを受け、神さまの導きによって確かな道を歩みましょう。


「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ」 使徒 18:9,10

posted at 2006/8/3



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